大衆酒場酔考譚 週刊文春 掲載記事

小皿のツマミに囲まれて大伝馬町「さかばやし」で“ちょいと一杯”

松尾 秀助

 地下鉄日比谷線・小伝馬町駅3番出口を出た大竹画伯は、江戸通りからワンブロック南に入った立ち呑み店「さかばやし」の引き戸を開ける。かわいいオバチャンがお出迎え。「お、宝焼酎ハイボールがあるな。これください」と画伯はカウンター前に貼ってあるメニューを注文する。「下町の焼酎ハイボールの味わいが立ち飲みに似合うね。宝がつくるとハイボールは進化する、か。なるほど」

 カウンターはあるが、ほとんど小皿のツマミに占領されて、客は四つのテーブルを囲んで立ち呑みする。外にも樽テーブルがあって、愛煙家はこちらで。

「おツマミもたくさんあるな。二〇〇円から四〇〇円。三〇〇円のポテサラと四〇〇円のマグロ刺しを。お代はこの小さい竹篭に入れておくんだな」と画伯。

 切り盛りするオバチャン・山口淑子さん(六一)がオーナーで、なんとさらに二号店、三号店も近くに出している。

「二号店に調理する人がいて、作ったものを私が自転車で各店に配るんです。お刺身はここで私が捌きますが」(山口さん)

 やがて引き戸がカラリと開いて、「ただいま!」と常連客のお成り。「お帰りなさーい」とおかあさん。二一年前の創業だから、ご常連が多い。「店を出した年は地下鉄サリン事件がこのすぐそばでも起きて、大変でした」と山口さん。義姉と二人で始めたが、ご主人が酒販店で働いており、飲食店についてはよく知っていて、的確なアドバイスをくれる。店名の「さかばやし」も酒蔵が酒を仕込むと玄関に掲げる杉玉のことで、ご主人が命名した。「それで店内にも杉玉が下がってるんだ。壁にびっしりいろんな種類のお酒メニューがあって、目移りするね」。手元のグラスも残り少なくなり、宝焼酎をベースにした「レモンサワー」(三〇〇円)を注文する。ツマミもキュウリ味噌(二五〇円)、アスパラベーコン巻(三〇〇円)を追加。

 小伝馬町、大伝馬町はその名の通り江戸時代には馬の荷捌き、替え馬などを行なっていたが、伝馬町牢屋敷があったことでも有名だ。明治の初めまで二七〇年間、数十万人が投獄された。長州の吉田松陰らも安政の大獄で捕えられ、ここで斬首された。松陰の辞世の歌が刻まれた石碑がすぐ近くの十思公園にある。

「それと、たしか一〇月にべったら市がありますよね」と画伯が尋ねると、山口さん「そうです。一九、二〇の二日間、宝田恵比寿神社のお祭のときで、すごい人出です。以前の常連さんで定年になった人たちもその日は来るから、普段は休みの土日でも店を開けるんです。べったら市が来ると、もう冬が近いんだなと思いますね」。

 二四人で満員の店内は四時半開店から一〇時閉店まで込み合う。立ち呑みだから回転が早いかと思えば、案外長っ尻の客も多く、「おかあさん、椅子ちょーだい」「それはちょっとダメ」。

 足が重くなった画伯はおかあさんに見送られて、江戸通りに出る。「身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留置(とどめおか)まし大和魂」と松陰先生の辞世の歌を通り沿いに見つけて、画伯は松陰顔で帰途につくのだった。

※お店の情報や値段は取材当時のものです。

イラスト・大竹雄介

提供:宝酒造株式会社

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2016年12月1日号
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安倍・トランプ非公開会談全内幕
2016年11月24日 発売 / 定価400円(税込)
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