大衆酒場酔考譚 週刊文春 掲載記事

横浜・新子安の大衆酒場「甘粕屋」は81年続いた味を大切に

松尾 秀助

 JR新子安駅(京浜東北線)を出て大竹画伯は国道15号方面に歩く。国道に出る寸前に大衆酒場「甘粕屋」が。テーブルと小上がりで三〇席ほどの店に入り、チューハイ(四〇〇円)を所望する。

「ボクは子供の頃、このあたりに釣りに来たよ」と画伯。国道15号は旧東海道だから、それより海側は埋立地だ。

「この店は昭和一〇年創業だから、今年で八一年。場所もほとんど動いていません。僕は三代目で、高校生の頃からおじいちゃんを手伝って調理場で仕事をしていましたよ」と、オーナーの星野英一さん(五四)。

 初代の頃から味が変っていないという牛モツ煮(四〇〇円)が出てくる。「オッ、これはうまいっ!」と画伯はアッという間に平らげて、「おかわりください!」。味噌ベースのレシピは延々八一年の間、受け継がれてきたわけだ。この逸品で「甘粕屋」を見る画伯の目が変わった。「あじ七味揚げ」、「若鳥にんにく焼」(ともに四五〇円)、「焼魚 赤魚粕漬け」(四九〇円)を立て続けに注文し、チューハイのお次は芋焼酎の「一刻者」お湯割り(五二〇円)に。

 厨房で旦那が調理し、母上が飲み物係、フロアで奥さんが愛想よく対応する。正しい家族経営で、常連客たちが安心して飲める店だ。しかも五時開店、一〇時ラストオーダーと、健全この上ない。

「埋立地が京浜工業地帯になって、大きな工場がたくさんでき、その下請けもあって、朝晩の通勤時にはJR・京急の新子安駅と工場との間を、ものすごい数の職工さんたちが歩いていた。当時の職工さんたちはよく飲みましたよ。毎晩必ず来てくれるお客が一〇人くらいいて、有難かったですね。今は工場が移転したりして、人数が減りましたが」(星野さん)

 かつて「子安の浜」と呼ばれた海岸沿いに東海道があって、子安から二キロほど西南の神奈川宿は神奈川湊とともに賑った。歌川広重の「東海道五拾三次」にも神奈川宿が描かれている。黒船でやってきたペリーが開港を迫ったのも神奈川湊だったが、新開港地は横浜村になり、やがて賑いも横浜に移る。が、今も子安通には東海道線、横須賀線、京浜東北線、京浜急行が通り、旧東海道は国道15号(第一京浜)となって、箱根駅伝のランナーたちが走る。

「巖窟王」(六二〇円)という洞窟かめ貯蔵の米焼酎を、ロックでいただく。「うん、さっぱりしていていいね」と画伯は、つまみに「かまくらハムのハムかつ」(四四〇円)、自家製ポテトサラダ(三四〇円)も発注する。

 木造二階建ての店舗を三〇年前に現在の三階建てビルにした初代の祖父が横浜・伊勢佐木町でお世話になった酒屋「甘粕屋」の屋号を分けてもらって開業。だが、三代続いた家族経営も、星野さんの代で終わりそう。「娘二人はもう自分の仕事をしてますし。逆にお客さんたちが、『飲む場所がなくなっちゃうよ』と心配してくれます」(星野さん)

「まだあと二〇年は大丈夫。ホラ、ボクだって!」と画伯はさらに「巖窟王」を飲み干すのだった。

※お店の情報や値段は取材当時のものです。

イラスト・大竹雄介

提供:宝酒造株式会社

この記事の掲載号

2016年11月3日 秋の特大号
2016年11月3日 秋の特大号
小池vs.丸川
2016年10月27日 発売 / 定価420円(税込)
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