大衆酒場酔考譚 週刊文春 掲載記事

浅草観音裏に暖簾を出す「さくま」は江戸っ子女将に守られて70年

松尾 秀助

 浅草雷門から大竹画伯は浅草寺を抜けて行く。「このシリーズ、意外に浅草は初めてじゃないかな」。夕方になっても外国人客などで賑わう観音堂を過ぎて裏に出る。言問通りを渡ったところに「さくま」と大書された暖簾の大衆酒場。店を切り盛りするのは女将さんと二人の女性。

「えー、女将さん、昭和一四年生まれ? ボクと同い年だ。お若いですねー。それで二代目ってことは、創業は?」「昭和二二年。私が小学校二年生のときに両親がここに店を開きました」と佐久間愛子さん。

「酎ハイボール」(三五〇円)とあるのを注文し、元祖牛すじ煮込み(五〇〇円)をいただく。これが焼豆腐入りで味がしみ込んだ絶品だ。「焼酎ハイボール」でも「酎ハイ」でもない独特の命名が老舗店を感じさせる。

「開店当時はこのあたり焼け野原で、観音堂は階段だけ。防空壕や言問通りのロータリーでかくれんぼや鬼ごっこをして遊びました。店はほぼ二四時間営業みたいなもんで、両親が交代でやってましたが、食べ物は作れば何でも売れた時代。母親が大変なのを見ていたから、私が二代目を引き継ぎました」(愛子さん)

 赤いセーターに黒の前掛けをきりりと締めて、白いものが混じる短髪をきれいにまとめた愛子さんは常連客と気さくにおしゃべり。三代目になる娘さんを含めた女性たちがカウンターの中外で立ち働く。画伯はカウンターの上に並んだお鉢からレンコン、カボチャ、ひじき、肉じゃがなどの煮物(四〇〇円~)を選び、テーブルに並べてスケッチに余念がない。

 五時開店。カウンター一二席とテーブル、お座敷はすぐ満員に。奥は古い日本家屋で、畳の座敷が三つあり、坐り込んだ客たちは居心地がよくてなかなか腰を上げない。夜十時には閉店で、「おばちゃん、もう眠くなっちゃった」と言うと、「分かった、分かった」と帰って行く。

 この観音様裏は浅草奥山と呼ばれて、江戸期から芝居小屋が立ち並ぶ盛り場だった。明治になってからも日本初の活動写真常設館「電気館」ができたり、浅草オペラが全盛期を迎え、浅草は信仰・演劇・遊興の三要素を兼ね備えた大衆文化のメッカになった。関東大震災と東京大空襲で大きな被害を受け、戦後は他の盛り場が増えて浅草の相対的優位性は減ったが、観音様裏の「さくま」は七〇年近くの人気が衰えていない。愛子さんは店を支えて、はや五〇年。江戸っ子らしい切れのいい口跡(こうせき)を聞いて画伯、「女将さん、お若い頃は三社祭でお神輿を担いだクチじゃないの?」「あらいやだ。女が担いだらお嫁に行けなくなっちゃうわよ」「いまは女性が率先して担いでいますよ。」

 特製ポテトサラダ(五〇〇円)に鶏唐揚げ(五〇〇円)を頂く。これがまた旨くて、画伯は日本酒お燗(大五五〇円)を追加。「子供も孫も育って、そろそろ三代目に渡さなくちゃと思うけど、まだ頭がちゃんとしているみたいだし」と言う愛子さんに、同年代の画伯、「まだもうちょっと頑張りましょうよ」。優しくコートを着せてもらって外に出ると、左手に東京スカイツリーがライトアップされて輝いていた。

※お店の情報や値段は取材当時のものです。

イラスト・大竹雄介

提供:宝酒造株式会社

この記事の掲載号

2016年3月31日号
2016年3月31日号
ショーンK激白 150分
2016年3月24日 発売 / 定価400円(税込)
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