クローズアップ 週刊文春 掲載記事
3.11スペシャル

『つなみ』の子どもたちが語る
あの日から5年、これからの5年

文藝春秋4月臨時増刊号『つなみ 5年後の子どもたちの作文集』

司会・構成森 健 (ジャーナリスト) プロフィール

もり けん/ジャーナリスト。1968年東京都生まれ。早稲田大学法学部卒。企画・取材・構成にあたった『つなみ 被災地のこども80人の作文集』、著書の『「つなみ」の子どもたち――作文に書かれなかった物語』で、被災地の子どもたちとともに第43回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。最新刊は『小倉昌男 祈りと経営』。

森健氏

――どういう事情だったか説明します。海に面した閖上地区の人たちは沿岸でもいち早く集団での「内陸移転」を住民会議で決議しました。けれど、行政は予算の関係で「現地再建」を強く打ち出した結果、住民が分裂状況になったんです。市による住民アンケートでは、現地再建の希望者は3割、残りの多くは内陸移転を希望していました。

橋浦 はい。だから、テレビでは前向きな報道が多いんですが、自分たちはそう単純に前向きに思えないところがあるんです。

行方 家の話は僕も伝えたかった。元の家は津波で全壊だったので、当初うちはずっと避難所でした。その避難所も人が減っていき、半年後、それまでの避難所を追い出されて、別の避難所に移るかもしれないという状況になりました。結局はその時「みなし仮設」として賃貸マンションを借りることができたのですが、あの時は本当にどうなるのか不安でした。いまのマンションも国からの支援が打ち切られたら、どうなるんだろうと心配なんですが……。

――でも、いまも海に近いところに住んでるよね?

行方 はい。おじいちゃんが漁師だったので、海が好きで。あまり内陸に住むという意識がないんです。

――三束さんは高校進学で岩手県大船渡市まで引っ越しましたね。

三束 はい。震災のときは中学2年生で、その年には大船渡市の高校に進路希望をもっていました。その高校には調理や栄養を学べる学科があったからです。入学当初は朝6時前に家を出てお父さんに送ってもらっていたんですが、やはりそういう生活も大変で引っ越すことにしました。両親には恩返ししないといけないと思います。

――三束さんの実家は気仙沼の内湾地区で3代以上続くふとん店でしたよね。事業再建を断念するとお父さんから聞いたときは。

三束 本当に悲しかった。頑張ってほしかった気持ちもあるんです。でも、大変な思いをしていたお父さんに「もう一度頑張って」なんて、とても言えませんでした……。

橋浦・行方 (頷く)

――気仙沼ではこの5年間、防潮堤の高さを巡って県と住民でもめてきました。県と国が高さ10メートル規模の防潮堤計画を出したことで気仙沼の住民は反発。住民会議が各地で開かれ、行政と協議が行われました。結果、当初の計画より低く設置することになりました。この経緯は、他の地域の人から見ると、理解しにくいところもあったように思います。なぜ気仙沼の人は防潮堤を嫌がるのだろうと。

【次ページ】震災体験で見えた将来の目標

この記事の掲載号

2016年3月17日号
2016年3月17日号
テレビの天敵 高市早苗総務相 嫌われる理由
2016年3月10日 発売 / 定価400円(税込)

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