大衆酒場酔考譚 週刊文春 掲載記事

十条の商店街にある大衆割烹「田や」は常連客に愛されて60年余

松尾 秀助

 JR埼京線・十条駅北口近くの演芸場通り」は賑やかな商店街だ。篠原演芸場は大衆演劇ファンに人気の劇場。大竹画伯は通りに入ってすぐの「田や」という店に足を止める。軒瓦をあしらった入口に「家庭的ふんいきの店 大衆割烹」とある。

「おお、結構広い店内だな。コの字型カウンターに一五人、座敷に二五人は坐れるね。壁一面のメニュー表がすごい。黒板にもズラッとあるし。これを全部作れる板前さんは偉いね」

 焼酎ハイボールをもらって、築地で仕入れるという活〆の刺身をもらう。マグロ赤身(六五〇円)、北海道みず蛸(九〇〇円)、縞鯵(九〇〇円)などなど。

「私は一九のときからこの商売をやってます」と語るオーナーの田谷茂松さん(七五)によれば、店の創業は昭和二八年。親戚が始めた店に入って厨房を任された。

「なんでもはじめは『マッカーサー』という店名だったらしいけど、米軍に文句を言われて『バクダン』と変えたそうで、五一年に今の『田や』になりました。当時は二四時間営業の大衆定食食堂でね、職人さんたちがたくさん来て、定食を食べ、焼酎の梅ジュース割りなんかを飲んでたね」(田谷さん)

 十条は大きな会社や工場はないものの、手に職を持った人たちが多く住む下町気分にあふれた街だ。そんな土地柄にぴったりのこの店は、常連さんたちに愛されて六〇年を過ぎた。

「お酒のおともだち色々」とあるメニュー表の中から画伯はどじょう鍋(九〇〇円)とみず新香(四五〇円)を注文。みずは山菜のような茎を塩漬けにした秋田名物。

「あれ、秋田名物がたくさんあるぞ。ご出身が秋田ですか?」と画伯が問うと、「いや、親戚に秋田出の人がいてね。私は茨城です」とご主人。だから「茨城あんこう鍋」(二五〇〇円)もある。画伯はがんばって秋田の「きりたんぽ鍋」(二五〇〇円)を。お腹、大丈夫?

 きりたんぽ鍋は比内地鶏に舞茸、セリ、くずきり、にんじんなどたっぷり入っていて、身も心も温まる。焼酎ハイボールのジョッキもおかわり。

 戦後、田谷さんの姉上が旦那さんたちと始めた飲食店が経済成長期の波に乗り、十数軒にもなった。今でこそ数軒になり、代替わりしたが、「田や」同様、繁盛している。田谷さんも息子さんに包丁を渡して、悠々自適の毎日のご様子。大衆性豊かな店内はテレビドラマのロケにも使われ、たくさんの色紙が壁を飾っている。達磨やひょっとこ、なまはげの面もあって、画伯のペンも忙しい。

 十条は赤羽とともに軍用地が多く、戦後は米軍が駐留し、撤退した跡に陸上自衛隊が入って、武器庫や戦車、トラックがあったという。今は駐屯地は縮小して、代わりに大学などが増え、学生街の様相も呈している。

 画伯の食欲が今日は超旺盛で、どじょう鍋ときりたんぽ鍋を食べたのに、さらに玉子焼き(四〇〇円)も追加。これが見事な小判型で、「田谷」の焼印まで押してある。

「お主もワルよのう」と悪代官のノリで、画伯は小判四つをペロリ平らげるのであった。

※お店の情報や値段は取材当時のものです。

イラスト・大竹雄介

提供:宝酒造株式会社

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2015年12月31日・2016年1月7日 新年特大号
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