著者は語る 週刊文春 掲載記事

マタギたちがリアルに体験した、“本当の話”

『山怪 山人が語る不思議な話』 (田中康弘 著)

帰り道に遭遇した夜店のような煌煌とした明かり。避難小屋の周囲をまわる錫杖の音。山中で突如現れる真新しい白い道……。マタギなど主に山で仕事をする人々が自ら遭遇した不思議な話集。北秋田の阿仁の集落を中心に、ほか東北、北陸、四国、九州など全国をまわって収集。発売以降、静かに増刷を重ねている。 山と溪谷社 1200円+税

「マタギと狩猟で行動をともにしていると、待機時間って、意外と長いんです。そんな時に、暇つぶしに色々と話が出るんですよ」

 マタギカメラマンの田中康弘さんが、最初に聞いた不思議な話は、山中で目撃した白い蛇の話だった。

「“土管のような太さだった”って。それが脳裏から離れなくて。周囲の人に聞くと、きっぱり否定する人と肯定する人にはっきりと分かれます。興味深く思ったのが、本書の取材のきっかけでした」

『山怪』は、主に狩猟など山の仕事をしている人たちが直接体験した不思議な話を集めたエピソード集だ。山中の不思議な光や物音、見知った道で突如迷子になる話など、さまざまな断片が多数収録されている。

「昔話や民話を記録する試みは各地でされていますが、それらは幾世代も語り継がれてより面白く完成された話です。私が集めたかったのは、まだそうなる前の、オチもない、意味のわからない実際の体験談でした」

 不思議な体験を否定する人であっても、よくよく聞いてみると、面白い話が出ることもあった。

「山奥の廃屋で休んでいると、真夜中に自分の居る部屋まで足音が近づいてくる、という体験をしていながら、あれは持ち主が見回りに来たんだって断言する人もいました。夜中にわざわざ見回りに来るとは考えにくいのですが……」

たなかやすひろ/1959年長崎県生まれ。島根大学卒業後上京、カメラマンに。関わっていた雑誌でマタギについて聞いたのがきっかけとなり、以後30年近くマタギや狩猟に関する取材を続ける。著書は『女猟師』『日本人は、どんな肉を喰ってきたのか?』など多数。

 聞き出すには、自分が聞いた色々な体験を語ることで、相手の記憶が呼びおこされるのを待つのだという。

「当人も忘れていることが多いんです。それにしても取材内容の説明も難しかったですね。自分の知人ならまだ良いのですが、はじめて訪れた場所で、不思議な体験をした方はいませんかと役場や紹介者に相談すると、昔話収集とよく誤解されました。昔話の語り手に紹介されて、2時間ぐらいたっぷりと語られたこともありましたね」

 本書では、ほとんどの語り手と現場が実名で登場している。

「匿名の上手な作り話なら、ネット上にいくらでもありますよね。わざわざ現場へ実際に話を聞きにいったからには、実名でいきたいと思っていました」

 いま北秋田のマタギの集落は、どんどん住む人が減っている。

「老人たちすら、不便な土地を離れ、空き家が増えてきています。子供たちに語ることもないまま消えていくばかりの話ですから、本書の取材は、最後の機会だったのではと思います」

「週刊文春」編集部

この記事の掲載号

2015年8月27日号
2015年8月27日号
安倍晋三首相 「吐血」証言の衝撃
2015年8月19日 発売 / 定価400円(税込)
関連ワード

田中 康弘

登録はこちら

週刊文春について 毎週木曜日発売 定価400円(税込)

※発売日・価格は変更の場合があります。