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保守回帰の時代に警鐘を鳴らす、一少女の告白

『ある奴隷少女に起こった出来事』 (ハリエット・アン・ジェイコブズ 著/堀越ゆき 訳)

評者山内 マリコ プロフィール

やまうち まりこ/1980年富山県生まれ。作家。デビュー作『ここは退屈迎えに来て』で一躍注目される。近著に『東京23話』など。

ハリエット・アン・ジェイコブズ/1813-1897年。ノースカロライナ州出身の元奴隷。両親と死に別れ、12歳で好色な医師の家の奴隷となり、性的虐待を受ける。自身のドラマティックな半生を綴った本書を後年匿名で出版する。 大和書房 1785円(税込)

 百五十年ほど前に本書が出版されたとき、奴隷制のないアメリカ北部の人たちはこれを、白人が書いたフィクションと思ったという。奴隷は商品であり、白人支配者の所有物であることが法律で守られている南部の実態は、それだけショッキングで、現実とは思えなかったということだろう。研究によってこの本が、「奴隷少女が半生を綴った自伝」であるとわかったのは一九八七年のこと。再発見されて以来、本国ではベストセラーになっているという。

 主人公、つまり本書の著者は黒人の、奴隷の運命を背負った少女だ。彼女を取り巻く状況は絶望的に閉塞しているが、それがさらに悪化するのが子供時代を過ぎ、美しく成長してから。わずか十五歳の少女が“所有者”である五十代の男から、変質的な性的関心を向けられつづける描写は心底おぞましく、生き地獄の日々が克明に綴られている。

 著者のジェイコブズは、「わたしは神が作った最も弱い生き物かもしれない」と嘆く。それはとりもなおさず、彼女が女性であるからだ。男女平等、男女同権の建前が浸透しすぎた今の社会で、この主張は逆に反感を買うかもしれない。けれど事実なのだ。そして当の女性、特に若い女性は、案外そのことに無自覚に大人になってゆく。

 不況つづきの日本。自立の道を諦め、結婚という法律の中に逃げ込もうとしている若い女性も多いという。とりわけ仕事の少ない地方に生きる少女たちの現状は深刻だ。SNSに包囲され、デートDVが常態化し、出口なしの息苦しいコミュニティに、がんじがらめになっていると聞く。

 数多の困難を超え、自らの意思で北部への逃亡を遂げた著者は「わたしの物語は自由で終わる。普通の物語のように、結婚が結末ではない」と書いている。自身の売買契約書を前に「女は取引用の商品」であることに違和感と嫌悪感を覚えるシーンも印象に残る。

 保守回帰の時代に蘇った、新しい古典文学だ。

この記事の掲載号

2013年5月30日号
2013年5月30日号
ドキュメント 維新壊滅 橋下徹の断末魔
2013年5月23日 発売 / 定価380円(税込)
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ハリエット・アン・ジェイコブズ堀越 ゆき山内 マリコ

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