著者は語る 週刊文春 掲載記事

「性」をめぐる豊かな小説集

『なめらかで熱くて甘苦しくて』 (川上弘美 著)

小学校の転校初日、同姓の少女・汀と知り合った田中水面。汀は、自分は前世の記憶があると水面に告げる。あるとき、水面は自分の住む団地にかつて殺された少女がいると耳にする。少女の名は、田中渚だった――〈aqua〉。さまざまな年代の女性たちの「性」と「生」を描いた5篇を束ねた瑞々しい作品集。 新潮社 1470円(税込)

 川上弘美さんの最新作『なめらかで熱くて甘苦しくて』は「性」をテーマにした小説集だ。

「これまで、男女のことを小説にする時には、どちらかというと気持ちの部分を中心に描いてきました。今回は、より生理に近い『性欲』というものについて書きたかったんです。まだ作家になる以前に、ある年上の女性が『結婚って結局は性欲なんだよね』と口にしたのを聞いて、生物としての美しいあり方を言い当てたその人を『師匠だ』と思った。それと同時に、自分にとって性欲とは何だろうと考えるようになりました」

 早熟な友人に刺激された思春期の女の子が、まだ見ぬセックスを想像して「想像力の限界だな」と呟く〈aqua〉、子を産んでからの日々の体験が強烈すぎてセックスがごく平常なよろこびとなってしまった女を描く、著者初の出産小説〈aer〉、「伊勢物語」を下敷きに、1組の男女の30年間に及ぶ情愛を追った〈ignis〉……。さまざまな年齢の女性の性欲を描いた濃密な5篇には、ラテン語で「水」「土」「空気」「火」の4元素と「宇宙」を意味するタイトルが冠される。

「たとえば雑誌の『セックス特集』などで、『性』はそれだけ切り取られて語られがちですが、性欲について書こうと考えるうちに、そのようには語れないと気がつきました。朝目を覚まして1日を送る、その中に、性欲は根を張って取り込まれている。それは宇宙を構成する4元素と同じように、自分を構成している要素のひとつだと思ったんです」

かわかみひろみ/1958年東京都生まれ。お茶の水女子大学理学部卒業。94年「神様」で第1回パスカル短篇文学新人賞を受賞。96年「蛇を踏む」で芥川賞、2001年『センセイの鞄』で谷崎潤一郎賞など受賞歴多数。著書に『七夜物語』『神様2011』『真鶴』など。

 各篇の多様さは、登場人物の年代の幅広さだけに由来するのではない。「物語に要請され」、文体が、肌触りがくるくると変化を見せる。作品を追うごとに物語の抽象性は増し、性欲をめぐる一大叙事詩を思わせるような最終篇〈mundus〉にたどりつく。

 毎年の洪水に翻弄される地に暮らす「子供」と呼ばれる人物。その人生のさまざまな瞬間に“それ”はあらわれて、誘う。“それ”とはじめて溶けあった時、子供は「体の芯にいる自分がおしっこをもらしたような心もち」になる。“それ”と子供は、時に一緒に夜道を歩き、時に「自分の肌をつねって血を出す競争をした」。やがて“それ”は去っていくが「“それ”との思い出は子供の裡に多く残っている」――。

「性欲は、それについて知れば知るほど抽象性を帯びてくる。初めから意図したわけではないですが、それに呼応して小説も変化していったのかもしれません」

「週刊文春」編集部

この記事の掲載号

2013年5月16日号
2013年5月16日号
オランダ密着レポート 雅子妃が「小和田雅子」に戻られた夜
2013年5月8日 発売 / 定価380円(税込)
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