不肖・宮嶋のオラオラ日記 WEBオリジナル記事

日本一過酷な競技会 (後編)

文・写真宮嶋 茂樹 プロフィール

みやじま しげき/1961年5月生まれ。兵庫県明石市出身。日本大学芸術学部写真学科卒業。幼少の頃のあだ名は「明石の火打ち石」。通称「不肖・宮嶋」。自称は「写真界のハリソン・フォード」改め、「写真界のジョージ・クルーニー」(年齢が同じやから)。写真週刊誌の専属カメラマンを経てフリーの報道カメラマンに。主に、修羅場を好むが負傷が絶えず、負傷・宮嶋と呼ばれていたものが、不肖・宮嶋に転じたという説もある。第2回雑誌ジャーナリズム賞、第4回日藝賞を受賞するも世界的ビッグタイトルには未だ恵まれず、そこが宮嶋の限界と揶揄されている。本人は「50歳引退宣言」を撤回し、新米カメラマンの頭を蹴落とすことを生きがいに55歳まで現役を続けると宣言し直している。

なお、著書は40冊以上。売れ行きは、そのほとんどが採算ラインをやや上回る程度。最新刊は東日本大震災の記録である「再起」(KKベストセラーズ)、「不肖・宮嶋のビビリアンナイト」(祥伝社)。文藝春秋からも6冊の刊行物があるが、なぜかすべて絶版。もちろん、刊行予定もない。

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 隊員たちは、何のためらいもなく一斉に足も立たない海に飛び込んでいく。しかも、迷彩服に半長靴、弾帯を身に付けた上に89式小銃をかついだままである。

 実は、この不肖・宮嶋、まだ30代の血気盛んなころ、那覇の航空自衛隊救難隊の取材で、実際に自分も体験してみようと、救難ヘリ、バートルからカメラ2台をかかえたまま、太平洋に飛び込んだことがある。

 この時は、死にかけた。

 まず、足が立たない。肩から下げたカメラが重しになって、海底まで引きずりこまれそうになり、思わずカメラを手放しそうになった。海水も、1升は飲んだ。

 隊員たちが味わう負荷はこんなものではないであろう。しかし、ハデな水しぶきを上げて着水する隊員たちは皆、無言である。表情一つ変えない。50メートル先のゴムボートまで一目散に泳いでいく。

 各チームはWAiRの各中隊、各小隊から6名ずつ組み分けされた者たちである。しかも体重、身長をわざとばらばらにして構成されている。

 ボートにたどり着いてからも困難は待ち構えている。ゴムボートは意外に高いのである。おまけに表面はツルツルで丸い。銃をかついだまま這い上がるのがどれだけ大変なことか。そこはチームワークで、皆、のた打ち回るような様子で次々と這い上がり、6人がそろったとたん、何もなかったかのように表情一つ変えず、オールを手に漕ぎ始める。

【次ページ】 これがもし竹島奪回作戦なら……

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