不肖・宮嶋のオラオラ日記 WEBオリジナル記事

そろそろ年貢の納めどきか

文・写真宮嶋 茂樹 プロフィール

みやじま しげき/1961年5月生まれ。兵庫県明石市出身。日本大学芸術学部写真学科卒業。幼少の頃のあだ名は「明石の火打ち石」。通称「不肖・宮嶋」。自称は「写真界のハリソン・フォード」改め、「写真界のジョージ・クルーニー」(年齢が同じやから)。写真週刊誌の専属カメラマンを経てフリーの報道カメラマンに。主に、修羅場を好むが負傷が絶えず、負傷・宮嶋と呼ばれていたものが、不肖・宮嶋に転じたという説もある。第2回雑誌ジャーナリズム賞、第4回日藝賞を受賞するも世界的ビッグタイトルには未だ恵まれず、そこが宮嶋の限界と揶揄されている。本人は「50歳引退宣言」を撤回し、新米カメラマンの頭を蹴落とすことを生きがいに55歳まで現役を続けると宣言し直している。

なお、著書は40冊以上。売れ行きは、そのほとんどが採算ラインをやや上回る程度。最新刊は東日本大震災の記録である「再起」(KKベストセラーズ)、「不肖・宮嶋のビビリアンナイト」(祥伝社)。文藝春秋からも6冊の刊行物があるが、なぜかすべて絶版。もちろん、刊行予定もない。

 テレビも新聞も雑誌もオウム信者、菊地直子や逃亡犯、高橋克也のことで騒がしい。かつてのオウム真理教報道を彷彿とさせる賑やかさである。

 それにつけても思い起こすのは、一人の報道カメラマンとして渡り合ったオウム真理教との長い長い戦いのことである。

 初めてオウム真理教の姿をファインダーに捕えたのは横浜の坂本弁護士一家が殺害される前のことであった。

 ちなみにこの事件は、1989年11月、当時のオウム真理教幹部6人が、オウム問題に取り組んでいた坂本堤弁護士とその妻子を殺害した事件である。

 この事件の直後、神奈川県警は、遺体が見当たらないため単なる失踪事件と断定。現場にオウム真理教のバッチ「プルシャ」と血痕が残されていたにもかかわらず、である。

 当時は新聞もテレビもこの殺害事件とオウム真理教との関係に言及することに極めて慎重だった。それどころか、TBSなどは結果的にオウム真理教の手助けをしていたといっても的外れではない協力を行っていたほどである。

 まあ、詳しくは拙著「不肖・宮嶋 踊る大取材線」(新潮文庫)に詳しいが、残念ながら絶版である。

 その間、ジャーナリストの江川紹子氏は孤軍奮闘、一人でオウム真理教事件に立ち向かい、おかげでヤサまで割られ(自宅住所まで知られ)、生命の危機を感じることさえあったのである。

 不肖・宮嶋でさえ、今回逮捕された菊地直子のような末端の信者ではなく、坂本弁護士殺害の実行犯となった早川紀代秀、新実智光ら幹部とも丁丁発止で、一人ぼっちで渡り合っていたのである。

 週刊文春編集部で、オウム真理教の脅威を訴え、徹底的な取材を主張したがなかなか理解も承認も得られない。仕方がないので、自腹で麻原彰晃を、西ドイツ(当時)まで追いかけて行ったこともあった。

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