不肖・宮嶋のオラオラ日記 WEBオリジナル記事

20km圏内に入ってきた

文・写真宮嶋 茂樹 プロフィール

みやじま しげき/1961年5月生まれ。兵庫県明石市出身。日本大学芸術学部写真学科卒業。幼少の頃のあだ名は「明石の火打ち石」。通称「不肖・宮嶋」。自称は「写真界のハリソン・フォード」改め、「写真界のジョージ・クルーニー」(年齢が同じやから)。写真週刊誌の専属カメラマンを経てフリーの報道カメラマンに。主に、修羅場を好むが負傷が絶えず、負傷・宮嶋と呼ばれていたものが、不肖・宮嶋に転じたという説もある。第2回雑誌ジャーナリズム賞、第4回日藝賞を受賞するも世界的ビッグタイトルには未だ恵まれず、そこが宮嶋の限界と揶揄されている。本人は「50歳引退宣言」を撤回し、新米カメラマンの頭を蹴落とすことを生きがいに55歳まで現役を続けると宣言し直している。

なお、著書は40冊以上。売れ行きは、そのほとんどが採算ラインをやや上回る程度。最新刊は東日本大震災の記録である「再起」(KKベストセラーズ)、「不肖・宮嶋のビビリアンナイト」(祥伝社)。文藝春秋からも6冊の刊行物があるが、なぜかすべて絶版。もちろん、刊行予定もない。

福島は今桜が満開。20km圏内に戻ってくる住民はまだまばら。毎朝この桜を見上げる機動隊のお兄さん方の唯一の役得か。

 不肖・宮嶋、東日本大震災後、被災地を渡り歩くこと、延べ4カ月に及ぶ。しかし、東電の福島第一原発から20km圏内に足を踏み入れたのは、わずか3度。

 1度目は震災発生当初、ろくな情報もない中、原発が水素爆発したらしいことは、うすうす気が付きながら、ヘタレ政府がスピーディ(SPEEDI。原子力安全技術センターが中心になった緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の情報を隠匿していたせいで、特に根拠もなく「なーに、まだまだ大丈夫」とオノレをだましだまししながら、南相馬のラブホをベースに取材を続けていたのである。

 水素爆発の翌日でさえ、スピーディの情報のことなど全く知らず、テレビが報じる「天気予報では北風が吹いているので、放射能は南の海上に流れていくだろう」という言葉を信じて、北へ北へと逃げたのだった。

 しかーし、後でスピーディによる放射能の拡散地図を見ると、何のことはない、ワシはまるで放射能のチリが舞い落ちる下をわざわざ選んだように逃げまどっとるやないか! しかも放射能の雨と雪に打たれっぱなし。おまけにバイクで濡れネズミになりながら、である。

 もう、絶対やってはいけないことばっかりを、選んでやり続けてしまっていたのである。

20km圏内に全国から続々やってくるのは警察官ばかり。

 その後は、立ち入り制限中の地元自治体の特別許可を得て、再び浪江町と南相馬市(南)を取材、そしてこの度、南相馬市、田村市、川内村の三自治体内に限ってだが、20km圏内への立ち入りが自由となり、3度目の取材とあいなったのである。

 20km圏内には、仙台の国分町で見かけたような復興バブルの喧騒もなければ、復興への槌音も高くはない。せっかく立ち入り自由になっても、故郷に帰って来る人はまばらである。それも当然で、立ち入ることはできても宿泊は不可なのである。1年たっても、インフラさえまだ復旧してはいない。

【次ページ】 皮肉にも絵に描いたように美しい自然の風景

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