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不肖・宮嶋のオラオラ日記

肉じゃが“仁義なき戦い”
~ 呉vs舞鶴 死闘編 ~

文・写真宮嶋 茂樹 プロフィール

みやじま しげき/1961年5月生まれ。兵庫県明石市出身。日本大学芸術学部写真学科卒業。幼少の頃のあだ名は「明石の火打ち石」。通称「不肖・宮嶋」。自称は「写真界のハリソン・フォード」改め、「写真界のジョージ・クルーニー」(年齢が同じやから)。写真週刊誌の専属カメラマンを経てフリーの報道カメラマンに。主に、修羅場を好むが負傷が絶えず、負傷・宮嶋と呼ばれていたものが、不肖・宮嶋に転じたという説もある。第2回雑誌ジャーナリズム賞、第4回日藝賞を受賞するも世界的ビッグタイトルには未だ恵まれず、そこが宮嶋の限界と揶揄されている。本人は「50歳引退宣言」を撤回し、新米カメラマンの頭を蹴落とすことを生きがいに55歳まで現役を続けると宣言し直している。

なお、著書は40冊以上。売れ行きは、そのほとんどが採算ラインをやや上回る程度。最新刊は東日本大震災の記録である「再起」(KKベストセラーズ)、「不肖・宮嶋のビビリアンナイト」(祥伝社)。文藝春秋からも6冊の刊行物があるが、なぜかすべて絶版。もちろん、刊行予定もない。

 不肖・宮嶋、広島の呉という町を訪れること、すでに数十回。そのほとんどが海上自衛隊の取材のためであった。しかし、この町を最初に訪れた時のことは生涯忘れられない。

 それはちょうど今から20年前、我が国が初めてPKO(国連平和維持活動)に参加するため、陸上自衛隊の施設大隊をカンボジアに派遣した時であった。

 戦後初めて海外派兵される施設部隊の使う重機、資材、車両とその操縦手が、排水量わずか2000トンの小舟のような輸送艦に乗せられて、この呉の港からカンボジアのコンポンソム(現シアヌークビル)まで、17日間かけて無寄港で向かったのである。

 出国時、ワシの旅券にはしっかり呉出国とスタンプが押された。その17日間の航海中、バシー海峡で丸1週間、台風19号に翻弄され、ワシは一生分のゲロを吐きまくった。この地獄の航海を体験して以来、なぜか二度と乗り物酔いをしなくなったことについては、本連載の「男のグラサン」で述べた通りである。

 この呉から始まったPKO取材で、不肖・宮嶋は処女作「ああ、堂々の自衛隊」(祥伝社刊)を世に出すことができた。その印税で、これまた地獄であった借金生活から一息つくことができたことを思うと、呉はいわば大恩のある町なのである。

呉は今も昔も海軍の町。「アレイからすこじま公園」に行くと、もう手が届きそうなとこで潜水艦を拝める。最新鋭の「そうりゅう」型もほーればっちしや。スパイはお断りやで。
当然ながら、地元の店のネーミングも海軍がらみがとても多い。
呉は、もう駅前からして海軍の町である。
ワシの呉の常宿、呉阪急ホテルも海軍チック。ちゃらちゃらした貸衣装なんぞ呉に似合わない。帝国時代を思い出される「海軍士官の制服で記念写真」。(協力・中田商店?)
呉名物「呉ハイボール」はウイスキーをラムネで割ったもの。なんでラムネが呉名物なのかといえば、大和はじめ連合艦隊の主だった艦には艦内にラムネ製造機が備わっていたから。これまた海軍がらみ。ただ最近はびんを調達しにくいらしい。飲みやすいから、アホなネーチャン酔わせるには一番や。結構いけるぞ。

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