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不肖・宮嶋のオラオラ日記

エゾ鹿を腹いっぱいいただいた

文・写真宮嶋 茂樹 プロフィール

みやじま しげき/1961年5月生まれ。兵庫県明石市出身。日本大学芸術学部写真学科卒業。幼少の頃のあだ名は「明石の火打ち石」。通称「不肖・宮嶋」。自称は「写真界のハリソン・フォード」改め、「写真界のジョージ・クルーニー」(年齢が同じやから)。写真週刊誌の専属カメラマンを経てフリーの報道カメラマンに。主に、修羅場を好むが負傷が絶えず、負傷・宮嶋と呼ばれていたものが、不肖・宮嶋に転じたという説もある。第2回雑誌ジャーナリズム賞、第4回日藝賞を受賞するも世界的ビッグタイトルには未だ恵まれず、そこが宮嶋の限界と揶揄されている。本人は「50歳引退宣言」を撤回し、新米カメラマンの頭を蹴落とすことを生きがいに55歳まで現役を続けると宣言し直している。

なお、著書は40冊以上。売れ行きは、そのほとんどが採算ラインをやや上回る程度。最新刊は東日本大震災の記録である「再起」(KKベストセラーズ)、「不肖・宮嶋のビビリアンナイト」(祥伝社)。文藝春秋からも6冊の刊行物があるが、なぜかすべて絶版。もちろん、刊行予定もない。

お得意の木隠れの術。こんなもんでだまされんが、ここは保護区なので鹿もなめきっている。

 不肖・宮嶋、サラリーマンだった父と、専業主婦だった母の間に生を享け、典型的な平民の青年期を送ってきた。

 ハムは透けて見える真っ赤な丸いものしか知らず、週に一度、父が作ってくれるエースコックのワンタンメンをごちそうだと信じこみ、しゃぶしゃぶを知ることもなく長じて、社会に出た。

 しかし、カメラマン稼業にゲソつけてからは、世界のさまざまな地で、カタギの衆が一生かかっても口にできん、ろくでもないゲテものから、げっぷが出るほどのキャビアまで、まあ、いろいろと口にしてきたが、結局、振り返ってみると、生涯一番のごちそうは南極は昭和基地で食べた牛すじおでんであった。

 誰や、そこで笑うとんのは! 失礼やないか! おでんは牛すじ。牛すじはおでん! これはもう、押しも押されぬ世界の決定事項と言っても過言ではないであろう。

 そもそも人間は、他の動物からタンパク源を得んと生きていけない、業の深い生き物なのである。ハムもおでんも寿司でさえ、もとをただせばピチピチ動きまわっとった魚類や動物である。

 そう考えると、ちょっとしゅんとなってしまうところがないではないが、ここはひとつ、「人間は本来的にプレデター(捕食者)である」と割り切ってしまえば、まあ、たいがいのもんは、うまいでェ。

 キャッチ・アンド・リリースの釣りなど、わしに言わせれば、残酷ないじめである。獲ったら食うてやらな。というわけで、北海道で始めたエゾ鹿狩りも今年で早20年。毎年、鹿さんを腹いっぱい、食べてきた。

銃猟は日の出から日没までしかできないので日没後は獲物をみつけてもあきらめるしかない
100mだと急所一発まずはずさない。
銃猟には各種の免許が必要であり、国有林への立ち入りにも 許可が必要となる。また、地域や時期によって捕獲頭数は制限されている。言うまでもないが、猟果より安全、順法が何よりも優先される。

 しかも今年は大猟や。これまでの大猟記録は、3人で1週間がかりで11頭だったのが、今期はなんと、一人頭で15頭。しかも4日間で。不肖・宮嶋、猟果を自慢するほど悪趣味ではないが、獲物は当然解体していただく。ロースやモモだけでなく、タンまでいただく。弾の当たりどころがよければ、レバーやハツまでいただく。内臓だけは、ハンターの特権。その日のうちに刺身でいただくことになる。

 いうまでもないが、百キロを超える鹿肉など、1年がかりでもとても食いきれるものではない。というわけで、今期は鹿肉を待ちわびる知人たちに大量におすそ分けすることになった。

 その中でも、代官山のフランス料理店に持ち込んだロースはたまらんほど旨かったが、もひとつたまらんかったのは、和歌山の炭で焼き、浜松町のホルモン焼き屋のタレと朝鮮ミソで食べたやつ。これは、別格やったなあ。あ、あかん、腹減って来た。

 カメラマンから足洗ろうたら、マタギやろか。

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